こうじマガジンNO.84(2003.12.25)  

「2003年を振り返って」

2003年もあと1週間あまりとなって参りました。
本年最後のこうじマガジンとなると思いますので、
私の身の回りに起こった出来事を中心に
本年を総括してみたいと思います。

一言で言うと「強大なもの・尊大なものが
崩れていく予感がした年」でした。

私の予想(こうじマガジンNo.55
「2003年の予言」参照)に反して
3月に米軍はイラク攻撃を開始しました。
圧倒的な軍事力で、早々に勝利宣言をしましたが
治安の回復・新政権の安定という
当初の目的は果たせていないばかりか、
ゲリラ攻撃やテロは激化しています。
フセイン拘束後もこの動きは衰えていません。

もともと戦争目的があいまいだったため、
終結の見通しが立っていないというのが
現状ではないでしょうか。
「完全に勝利する」ことができない戦いで、
ベトナム戦争の二の舞を演じるのでは、とも思います。
アメリカの弱体化を予感させる年だったと思います。

一方4月の統一地方選の結果を受けて行われた
5月の臨時県議会では、
12年間続いた檜山議長体制が崩れて、
4会派(自民刷新会・県民連合・公明県民会議・
自民党良政会)による新しい県議会の体制が出来ました。
数の上では34人対35人(共産党を除く)と
際どい数字ですが、6月以降の県議会では
議長体制が崩れたことによる
自民党議員会の迷走が目立ちました。

地方議会は大統領制下の議会であり
議員が執行権を持つことはありえません。
県民の声を代弁し知事・執行部に対する
健全な監視機関としての役割が果たせるよう
改革していく必要があります。
開かれた県議会への予感がした年でした。

そして11月の衆議院選挙です。
マニュフェスト・政権交代をテーマに戦われましたが、
私は有権者の投票行動に大きな変化を感じました。
投票率は前回を下回ったにもかかわらず、
民主党は得票を倍増させました。
これはよくいわれる無党派層が動いただけではなく、
従来の自民支持層が崩れている、
ということを示しています。

1区で言えば、業界団体や企業系列、地域行事、
町内会行事等でよく顔を見たり話を聞いたりする
自民党現職を支持してきた人たちの一部が、
名前も顔も知らない、会ったこともない
民主党候補に投票するという現象が
起きたことを意味します。

今までは考えられなかった現象です。
絵空事のように聞こえていた
政権奪取ということが現実味を帯びてきました。
自民党体制という戦後日本の強大で尊大なものが
崩れる予感がしました。

堺屋 太一氏の著書に、
関ケ原の合戦を巨大プロジェクトとして捉えて
石田 光成側の視点から描いた
「大いなる企て」があります。
その中では、力はより大きな力を求めて
勢力を構成していくという徳川方の布陣に対して、
強大で尊大なものはその構成員の意思の平均で
(構成員の「強大なものは嫌だ」という意思が集まれば)
倒すことができるという石田 光成の構想を
うまく捉えています。

来年に向けてこの流れは強化され
あらゆる分野で本当の民主化が図られるのか、
強大なものによる統治が効を奏するのか
大事な局面が続いていくと思います。

<主な行事>
12月18日(木) 後援会活動打ち合わせ
12月19日(金) 商工労働部勉強会
12月20日(土) 保護司業務、宇品体協ソフトバレー
12月21日(日) 保護司業務
12月22日(月) 旭町・出汐街頭演説、事務所整理
12月23日(火) 元宇品で自主トレ
12月24日(水) 小児慢性特定疾患治療研究事業についての陳情(福祉保健部長)、
          公明支部会
12月25日(木) メルマガ原稿作成、企業関係挨拶廻り

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