こうじマガジンNO.121(2006.07.18)  
△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼


こうじマガジン NO.121


△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼

「2006年7月1日から2006年7月14日までのダイアリー」


●2006年07月01日
「梅雨」
10時からの予定だった
南地区保護司会の街頭パレードは、雨のため中止。

事務所で、たまったお礼状書きをしました。

夕方自主トレ(元宇品コース)。


●2006年07月02日
「宇品親和会」
朝11時から
宇品親和会(老人クラブ)の総会(宇品集会所)。

午後4時から県議会4会派の勉強会(全日空ホテル)。

明日の6月県議会閉会日は、
勢力は伯仲しているため混乱が予想されます。


●2006年07月03日
「6月定例会閉会日」
来年4月の県議会議員選挙の定数と選挙区を決める条例案が対立、
多数をめぐっても勢力が伯仲しているため、
難航が予想された閉会日ですが、
想定通り会議は深夜に及びました。

朝8時から県議会へ。
私は議会運営委員会の理事ですので、
対立の最前線で議論していくため
会議の進め方等について、
しっかりと勉強しておかなければなりません。

9時15分開会予定だった議会運営委員会理事会はずれ込み、
10時半から始まりました。
定数・選挙区条例の提出に手間取ったのが原因です。
この会議では、閉会日の会議順序について議論します。
焦点の定数・選挙区条例については、その採決について、
記名投票にすべきという案と
無記名投票にすべきとの案が対立したため、
まず、記名投票にするか無記名投票にするかを
無記名投票で決めることになりました。
その結果に基づき、
議案1(定数66人、神石高原町は福山市に合区、反議長派案)を採決、
次に議案2(定数66人、神石高原町は府中市に合区、議長派案)を採決
することになりました。
私は議案2(議長派案)を支持しました。
議案1は、神石高原町住民の方々の、
福山市への合区を希望する署名(8割強)を
最大の根拠としていますが、一方で、
議会は、部分代表ではなく全体代表であるべき、
つまり、部分の利害は県全体の利害の前では沈黙せざるを得ない
(宇品の産廃処分場問題ではこの理屈で押し切られましたが)のであり、
県全体の利益は県議会の多数によって示される、
ということになります。
私自身は、「県東部の問題であり、信頼する県東部議員の判断を尊重する」
としました。
民主主義の本質は、適正手続きと多数決です。
議案2には手続き上何の問題もありませんので、
あとは多数決の問題です。
私は、議案1に反対で、議案2に賛成ということになります。

午後1時からようやく開会したわけですが、
他の提出議案を可決した後、
いよいよ定数・選挙区条例の審議に入りました。
重要なのは、多数はどちらか、ということですが、
反議長派は自民会を中心に31人、
議長派は自民刷新会を中心に28人(病気欠席のため1人欠)、
これに中立派である公明党が6人、
共産党が1人(議員定数削減自体に反対なので、
議案1にも2にも反対が想定されます)、
それに議長ですが、こうした表決には議長は投票できないので、
総員67人、議長を除いて66人が投票総数になります。
議案の成立には過半数の賛成が必要ですから、
34人以上の賛成が必要になります。

こうしてみると、
中立派の公明党の動きが焦点ということがわかります。
さて結果ですが、記名・無記名を決する無記名投票は、
総数66票、無効1票、無記名34票、記名31票で、
無記名投票に決しました。

次に議案1の投票結果ですが、
総数66票、無効2票、賛成32票、反対32票、
可否同数なので議長も可否の意思を表明され、
反対とされました。
よって議案1は否決されました。

ここで反議長派は可否同数で反対の意思表示をした議長に
不信任案の動議を提出しました。
自らはかって設置した定数選挙区特別委員会の決定を無視し、
それに反対した、という理由です。
議会は暫時休憩。

再開は7時過ぎで、不信任案は否決、議案2の採決に入りました。
結果は総数66票、無効0、賛成33票、反対33票で、
可否同数により議長の賛成票は入り、
34票で過半数となり、
議案2は可決ということになりました。
劇的な結果で、驚きました。
私はこの3回の投票で、投票立会人という立場で開票作業を見守り、
疑問票の点検等を行ったので、
この劇的な結果を間近で目撃しました。

ここで議会は暫時休憩。

9時半過ぎから再開。
最後の手続きである常任委員会の構成と
議会運営委員会の構成を決定し、
意見書の採択を行って、
10時過ぎに6月定例県議会は閉会しました。
もし定数・選挙区条例が成立していなかったら、
臨時議会の開会ということになっていたかもしれません。
劇的な幕切れでした。


●2006年07月04日
「ひきこもり対策」
朝8時から、皆実町六丁目交差点で街頭演説。

9時半過ぎから、宇品学区をパワーウォーク。

2時から県議会で、
広島県のひきこもり対策についてのレクチャーを受けました。
この日曜日に「KHJもみじの会」(ひきこもりに悩む家族の会)で、
同様の報告をすることにしており、その情報収集のためです。

夜は広島経済大学の岡本先生、
防衛大学校時代の恩師、田中先生と懇親会。
防大の現状等、
非常に興味深いお話をおうかがいしました。


●2006年07月05日
「パワーウォーク(4)」
9時半過ぎから、宇品学区のパワーウォーク。
連休明けから始めたパワーウォークも、
2ヶ月が経ちました。
一日50人の方々にお会いすること、
を目標に地域を歩いているわけですが、
留守のお宅もあったり、その場でご相談を頂いたり、
話に夢中になったり、この季節で雨が降ってきたりで、
なかなか目標には到達できません。
ただ計画と戦うことなく、皆さんとの対話を重視して
続けていきたいと思います。
毎日2時間程度歩く、という習慣は継続していきます。

午後は県議会に行って、原稿書きや打ち合わせ、
4時からは後援会の方と活動方針の打ち合わせと
続きました。


●2006年07月06日
「『模倣犯』 宮部 みゆき 」
この日曜日、
書店で宮部 みゆきの「模倣犯」文庫版を購入しました。
3日の月曜日は6月定例会閉会日で、すでにご報告しました通り
混乱が予想されていましたので、
県議会の控室に一日中缶詰になります。
何か読むものを、と購入したわけですが
今この本に夢中になっています。
いたたまれない気持ちになる凶悪犯罪が後を絶ちませんが、
そのことを加害者、被害者の側から描いたもので、
ある意味今後の日本社会を予見しているとも思います。

今日は9時半過ぎから宇品学区をパワーウォーク。
午後から県議会へ。
夜は自主トレ(元宇品コース)。


●2006年07月07日
「クールビズ」
先日ある会合で、
先輩議員が「クールビズとカジュアルの違いは、」
という話をされました。
結論は、
「売り場が違う。」ということで落ち着いたわけですが、
昨年からのクールビズは、助かっているというか
素晴らしい取り組みだと思います。
夏になると朝着替えて、
ネクタイを締めるころにはもう汗をかいている
といった具合で、なぜネクタイを締めるんだろう
と愚痴っていました。
県庁では、夏の軽装ということで
職員が軽装で対応することを断る文章が出ます。
県議会では、6月20日の常任委員会で、
委員長が「軽装を許可する」趣旨の発言をします。
まだまだ当たり前にクールビズとはいきませんが、
ずいぶん変わってきたな、と思います。
ただ会合等で相手がビシッと正装していると、
何か気後れしてしまうのも事実です。
上着とネクタイはいつでも持ち歩くようにしないと、
どうも不安な部分もあります。
外を歩き回るパワーウォークは、完全にクールビズで失礼しています。
使い分けということなんでしょうが、
まだまだ気を使う必要を感じています。
自衛隊では、夏は半袖の正装が準備されています。
これからは半袖シャツの正装というビジネス習慣が行き渡るか、
ということになりますが、日本ではまだまだと感じています。

今日は、9時半過ぎから宇品学区をパワーウォークをしました。

午後は打ち合わせのため県議会へ。

夜は自主トレ(元宇品コース)。


●2006年07月08日
「ドットジェイピー」
10時前から宇品学区をパワーウォーク。

1時半からは、
夏休み期間中に大学生のための議員インターンシップを仲介している、
ドットジェイピーの面接会に参加しました。
議員インターン希望の学生たちと 面接を続けるわけですが
30人近い学生との面接は結構疲れます。
貴重な夏休みをインターン体験に費やす、
という学生は基本的に前向きで真面目な学生たちです。
8月・9月と受け入れますが、彼らにとっていい経験になるようなインターンに
したいと思っています。

来週10から14日までは、
私の所属する会派、民主県政会(10名)の皆さんと、
タイ(バンコック)に研修旅行に行って参ります。
当然自費の研修会ですが、バンコックは始めてなので楽しみにしています。
三島 由紀夫の「暁の寺」を片手に、
バンコックの街を歩いてみたいと思います。


●2006年07月09日
「KHJ もみじの会」
午前中は事務所で事務作業。

ひきこもりに悩んでいらっしゃるご家族の方々を中心に、
「KHJ もみじの会」という団体があります。
多分、ひきこもり問題を真正面から捉え、
家族の相談や情報収集、広報活動等に積極的に取り組んでいる団体は、
この会だけでしょう。
全国組織ですが、広島に設立されてからは7年目に入られるそうです。
今一番の課題、そして我々政治の側からアプローチしないといけないのは
行政との連携をどうとっていくか、という問題です。

先日ご紹介した「呆け老人をささえる家族の会」
(先日設立25年でしたが、
やっと行政との連携も充実してきたとのことでした)
「シェイキング・ハンズ」
(高次脳機能障害に苦しむ方々の家族の会で、先日東広島市にある
県立リハビリテーションセンター内にセンターが開設されました)も
時間をかけてこの課題を解決してきました。
ひきこもりの問題も、これを社会現象として捉え
適切な対応をしていかなければならない、
最重要の課題だと私自身認識しております。

今日は午後1時から、広島市立舟入病院から
神経内科の先生を講師としてお招きし
治療の最前線のご報告をいただきました。
県当局にもさらに積極的に働きかけて参ります。


●2006年07月14日
「タイ・バンコックから帰りました」
10日の朝10時前に広島空港を出発して、
タイ・バンコックに行きました。

私の所属する県議会の会派、
民主県政会のメンバー10名との調査・研修です(当然自費での研修です)。

昨年12月から、広島空港とバンコックを結ぶ定期路線(週2便)
が開設されました。
今後週3便に増便される予定ですが、今回の研修は
こうしたタイ王国と広島県との交流に関して、
現状調査と将来に向けた対策を考えていくために企画されたわけです。
今年度からは、広島県としても現地バンコックに投資アドバイザーを置いて、
本格的に投資や企業進出の促進を行っていく方針です。

10日の2時前(現地時間)に到着(日本との時差は2時間)。
その足で、JETROバンコック事務所へ。
タイの現状について詳細な説明をいただいたわけですが、
印象に残ったのは政治の混迷と、
自動車産業(トヨタのプレゼンスが非常に大きい)
を中心とした産業振興政策(アジアのデトロイト構想)の成功、です。

1997年のバーツ危機の際、私は浪人中でしたが
こんなにも脆く一国の経済がひっくり返るのか
と興味をもって見ていました。
ヘッジファンドの威力を見せ付けられたわけですが、
あれから10年、日本のように不良債権問題にてこずることなく、
経済は順調に回復、発展しています。
なぜ不良債権問題が深刻化しなかったのか、
という疑問は未だに解消していません。
結局バーツ危機で最も損したのは、当時大規模な投資活動を展開していた
日系企業ということになります。
現地の人たちに聞いてみると、地場の銀行は
どこからともなく資金が入り込み(おそらく華僑マネーだと思います)、
取り付け騒ぎもなく、大きな銀行の倒産もなかった、
ということで、国民生活は安定したまま、
年5%程度の経済成長が実現しています。
ただこうした「不透明なお金の流れ」というのは当然貧富の差を生んでいます。
一部の大金持ちと、大半の貧困世帯、
という東南アジアの経済モデルからは抜けきれないでいる、
というのが実態です。

外資に頼って自動車産業を中心に雇用を維持する、
というしたたかさを感じさせる政策ですが、
お隣のマレーシアは 国産車の生産にこだわっている
対照的ですが、タイは、経済的な発展というのは借り物でもいい、
国王を中心とした統治機構さえ守れれば、国家は維持できるという
ある意味での強さを感じました。

翌11日は「バンパイン宮殿とアユタヤ遺跡」の観光でした。
バンパイン宮殿は、
三島 由紀夫の「暁の寺」にも出てくるタイ王室の別荘です。
小説を読み返しながら、知的好奇心がくすぐられる一日でした。

12日は1日かけてバンコック南部にある
マツダの現地工場の見学です。
車で約3時間かかるわけですが、沿道の様子は都会のバンコックとは一変し、
東南アジア特有の雑然とした街並みが続きます。
現地工場での一番の悩みは、現地従業員の定着率が低い、
そのため派遣社員は半数以上に上っている
ということだそうです。
ここでも生活費を稼ぐ仕事というのは、あくまでも借り物で、
賃金が高ければ当然そちらに流れていく という現象が見られます。
夜は、広島からタイに進出している企業(モルテン、西川ゴム、ヒロテック等)
の代表者の方々との会食でした。

最終日13日はバンコック市内の観光です。
暁の寺、大理石寺院、チャオプラヤ川遊覧と、過ごしました。
夕食をとって空港へ。
出発は現地時間の12時40分で、広島空港到着は朝の8時になります。
機内泊ということになります。
時差2時間というのは微妙に体調に影響します。
家に帰って片付けをして、少し休んで、お昼から事務所へ。
たまっていた事務作業を行って、
夜は森本 真治広島市議のパーティに参加。
何とか通常の生活に戻れそうです。


こうじマガジン目次へ