こうじマガジンNO.162 (2007.11.20)  
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こうじマガジン NO.162

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 「2007年9月21日から2007年9月31日までのダイアリー」


●●2007年09月21日●●

「マクロビオティック。 」

午前中は原稿書き。
昼休みに自主トレ(大芝水門コース)。
午後から、
県議会控室で打ち合わせ等。

そして今日は、
学生インターン3名と
久しぶりに
マクロビオティックの食事に
出かけました。
私は、食育の基本的な考え方は、
こうした世界でも先進的な取り組みに学ぶべきだ、
と考えています。
マドンナやトム・クルーズといった
トップレベルの俳優が、
自身の健康管理と容姿の維持
のために選んだのが、
このマクロビオティックです。
肉・魚・牛乳・卵抜きの食事は、
そうそう続けられない、
のが私ですが、
体調を整える、
という意味では、
週3日は実行したいものです。
私にこのマクロビオティックを
教えてくださった山口 真利枝先生とは、
「広島掃除に学ぶ会」のトイレ掃除で
ご縁を頂きました。
以来6年近くになると思いますが、
広島でも確実に
マクロビオティックの認知度も
上がってきてますし、
生徒さんもどんどん増えているようです。
学生たちも非常に喜んでいました。


●●2007年09月22日●●

「「地域再生の経済学」 豊かさを問い直す 神野 直彦 中公新書。 」

上記の本読み終えました。
神野氏の本は
「希望の島」への改革 NHKブックス 
以来二冊目です。
地域社会再生のシナリオは、
市場主義にもとづかない
ヨーロッパ型の道しかない、
との主張です。
税源委譲を伴う
本格的な地方分権を断行し、
分権的分散システムを構築し、
地域にその再生のプログラムを委ねる、
というものです。
地域ではその文化を生かした
産業や流通を再構築し、
サステイナブル・シティ(持続可能な都市)を目指す、
ことを説いています。
抽象的ですが、
例えば、高知市では、
人間と自然、
人間と人間との共生の場としての都市を位置づけ、
ショッピングセンター機能を
合わせ持つシネマコンプレックス
(複合型映画館)の建設を
敢然として拒否している、
こうした姿勢を評価しています。
広島の中心部に、
次々に立地している
大型ショッピングセンターのことです。
こうした施設は、
市にとって必要ない、
と言い切る市長は
素晴らしいと感じるとともに、
このヨーロッパ型の地域再生の思想に
裏打ちされた強さも感じます。
この本は、
今後の広島市のあり方を考える上で
大変参考になりました。


●●2007年09月23日●●

「宇品学区町民運動会。 」

朝9時から、
宇品学区町民大運動会に参加。
宇品学区の諸行事の中でも、
最も盛大に行われる行事です。
宇品学区に12分団ある
消防団単位で競うわけですが、
分団によっては
子どもさんがほとんどいなくなって、
競技に参加できない分団もあります。
一方、マンションが立ち並ぶ地域では、
参加者が100人を超える分団もある
といった状況です。
今年驚いたのは、
未就学児のかけっこで、
今までにないくらい
たくさんの子どもたちが
参加していたことです。
新築のマンションには、
こうした20代後半の世代が
入居しているのか、
と考えましたが、
原因はよくわかりません。
地域に活気が出てくれれば、
と祈るばかりです。


●●2007年09月24日●●

「日本人だけが知らない「アメリカ世界支配」の終わり カレル・ヴァン・ウォルフレン 徳間書店。 」

朝6時起床後、
早朝自主トレ(元宇品コース)。
午前中は事務所で原稿書き。

今、時間を見つけては、
上記の本を読んでいます。
ウォルフレン氏は、
報道記者を経て、
現在オランダアムステルダム大学教授で、
日本では、
「人間を幸福にしない日本というシステム」
という著作で有名です。
今読み進めていますが、
アメリカが、イラク戦争後、
もともと不可能な民主化を掲げ、
最も重要な「復興」というミッションが
達成できない、という現状に、
世界はアメリカを見放しつつある、
というストーリーです。
非常に刺激的な内容で、
夢中になってしまいます。
日本も今、
インド洋での洋上給油活動の継続が
大きな政治課題になっています。
さらには米軍基地の再編問題は、
お隣山口県岩国市にとって、
緊迫したテーマです。
一方で、アメリカは、
北朝鮮への柔軟な姿勢、
中国との対話路線と、
外交面ではわが道を行っている
感があります。
世界の流れをどう読むのか、
というのは、
国内政治を考える上でも
大事なテーマです。
読み終えた後、
また詳細を
ご報告させていただきたいと思います。


●●2007年09月25日●●

「一般質問 一日目。」

朝8時から、
鶴見橋東詰め交差点にて街頭演説。
今日は、
森本広島市議のインターン生も
参加してくれました。
終了後、彼の両親が、
翠町で喫茶店を経営しているとのことで、
行ってみました。
今から約16年前、
私が広島市議時代に、
宇品の公立保育園の存続運動に
関わったことがあります。
ご両親は、
その時の関係者だった
とのことでした。
存続運動は
うまくいかなかったわけですが、
まだ駆け出しのころの
苦い経験でした。

その後県議会へ移動し、
10時から会派総会。
10時半からは、一般質問。
今日は、
山崎 正博議員(安佐北区、自民刷新会議)、
午後から、
内田 務議員(福山市、民主県政会)、
杉西 加代子議員(呉市、自民党議員会)
と続きました。
3時過ぎに終了後、
市内の企業訪問をこなして、
5時過ぎからは、
県議会三会派意見交換会(全日空ホテル)
に参加しました。


●●2007年09月26日●●

「一般質問 二日目。 」

10時から会派総会。
10時半からは、一般質問二日目。
今日は、
日下 美香議員(広島市中区、公明党)、
午後から、
安井 裕典議員(廿日市市、自民広誠会)、
城戸 常太(呉市、自民立志会)
と続きました。

3時過ぎに終了後、
市内の企業訪問をこなして、
6時過ぎからは、
「藤田 博之広島市議会議長 
全国市議会議長会会長就任を祝う会」
(リーガロイヤルホテル)
に出席しました。


●●2007年09月27日●●

「一般質問 三日目、三菱重工労組広島支部 支部委員会。」

今日も10時から会派総会。
10時半からは、一般質問三日目。
今日は、
小林 秀矩議員(庄原市、自民良政会)、
午後から、
辻 恒雄議員(福山市、共産党)、
天満 祥典(三原市、県民同志会)
と続きました。

3時過ぎに終了後、
4時過ぎからは、
三菱重工労組広島支部 支部委員会に出席。
7時からは、
ご縁のある広島大学の先生たちと
意見交換会を行いました。


●●2007年09月28日●●

「一般質問 最終日、農林水産委員会正副委員長勉強会。」

10時から会派総会。
10時半からは、一般質問最終日。
今日は、
沖井 純議員(江田島市、自民党議員会)、
午後から、
犬童 英徳議員(呉市、民主県政会)、
野村 常雄議員(山県郡、自民刷新会議)
と続きました。

4時からは農林水産委員会正副委員長勉強会。
10月1日の委員会に先立っての勉強会ですが、
新聞等でも報道されていますとおり、
安芸農協でまた不祥事が発覚しました。
5千万円もの死亡保険金を騙し取った、
つまり詐欺の疑いが非常に強い事件です。
農協側は単なる事務処理ミス
としていますが、
果たしてそうなのか、
県としては、
厳しい対応が必要な事件です。

5時半からは
最後のルイス・マンフォード勉強会。
今日で、学生インターンシップの終了です。
3名の学生インターンは、
今回も本当に良く頑張ってくれました。
私の政治活動にもハリが出て、
毎年2回受け入れる学生インターンは、
活動に良いリズムを与えてくれています。
今後も頑張って、
成果を出していただきたい
と祈るばかりです。


●●2007年09月29日●●

「福祉医療公費負担事業。」

昨日のお昼に、
広島県が
福祉医療費公費負担事業の
広島市への補助金を、
一方的に削減することについて、
反対の活動をされている
重度心身障害者の
各種団体の方々が
会派に要請に来られました。
車椅子で、
本当に声をふりしぼるように
意見を述べられる姿に接し、
私自身も恐縮するとともに、
何とか広島県にこの問題で、
方針撤回を迫れないものか、
知恵を出さねば、
と感じてました。
県側の理屈は、
「政令指定都市には
福祉関連予算は既に交付税措置されている」ため、
他の市とのバランスを考えると、
「県からの補助金は、二重取りになる」、
というものです。
実際、この問題については、
私自身は昨年12月の一般質問で取り上げ、
県に方針撤回を迫りましたが、
広島市選出の県議会議員も、
この問題には消極的で、
本会議で取り上げたのは
私の他には共産党だけです。
ただ、
「広島市民も県民税を支払っているではないか」、
という主張には明確な県の考え方は、
まだ示されていません。
県民税収入は、
個人分が約1040億円、
法人分が約252億円となっています。
法人事業税約1223億円や、
個人事業税約41億円の中にも、
広島市内の企業分は
広島市民が一所懸命働いた成果だ、
と考えると、
広島市に還元されてしかるべきだ、
との考え方もあります。
このうち広島市民、
広島市内の企業の負担が
どれくらいになるのか、
調査をしなければなりません。
そして広島県は
広島市の公共事業や福祉向上に、
どれだけのお金を使っているのか、
調査が必要です。
そして政令市を抱える他県の状況等
とも比較が必要です。
こうした結果、
広島県がバランスを欠いているとすると、
自らの財政再建を優先するあまり、
広島市に犠牲を強いている、
という論理も成り立ちます。
この問題については
さらに調査研究を続けて参ります。


●●2007年09月30日●●

「川中島の戦い。 」

NHKの大河ドラマ「風林火山」が、
いよいよ川中島の戦いに突入しました。
防衛大学校時代、
日本の戦史研究の折、
戦略的に最も勉強になるのが、
この川中島の戦いだ、
と教えられました。
関が原の戦いは、
単なる政治決戦だ
と評価されていました。
今回改めて気づいたわけですが、
この戦いは全部で4度、
12年間にわたり行われています。
一般的には、
第四次の戦いが
クローズアップされています。
第一次が1553年、
上杉 謙信が23歳、
武田 信玄が32歳のときです。
第四次が1564年、
上杉 謙信が35歳、
武田 信玄が44歳のときになります。
この後、8年後の1573年に武田 信玄が亡くなり(52歳)、
その5年後の1578年には上杉 謙信が亡くなります(48歳)。
こうして時系列で見てみると、
この両雄は、
人生の最盛期を、
お互いの能力の限界まで戦った、
ということができます。
後知恵になりますが、
この両雄の激突がなければ、
戦国時代に終止符を打つのは、
この両者のどちらかではなかったか、
とも言われています。
この局地戦に、
人生の最も大事な時間を費やし、
天下取りのチャンスを失った
とも言えます。
ただ、「歴史に名を残す」という点では、
両者とも名将として現在に至るまで、
その名はとどろいています。
「ただ勝つこと」を目指し、
覇を競った良きライバル
であったとも言えます。
単なる局地戦でない、
領地の取り合いを越えた戦いの意味を、
500年の間、
語り継いできたわけです。
その偉大さに敬服しながら、
ドラマを楽しみました。



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