こうじマガジンNO.164 (2007.12.13)  
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こうじマガジン NO.164

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 「2007年10月16日から2007年10月31日までのダイアリー」


●●2007年10月16日●●

「企業会計決算特別委員会に向けて。」

朝10時、
事務所に学生インターンシップの運営組織、
ドット・ジェイ・ピーのスタッフ、
Eさんが来所。
この夏のインターンシップの総括と、
来年春のインターンシップについて、
説明を受けました。
彼女もうちの事務所のインターンOBです。
うちのOBは、
彼女のようにスタッフとして残る学生も多く、
事実上インターンの受け入れを継続する以外、
選択肢はない、といった状況です。
来年春に向け、
頑張っていただきたいと思います。

午後からは県議会へ。
来客等の対応の合間に、
企業会計決算特別委員会に向けて、
関係資料の読み込みに入りました。
量が膨大で、
複雑な数字が並んでいますので、
理解するのに一苦労です。
先日も触れましたが、
企業会計は
貸借対照表や、損益計算書が出てきますので、
全体像を把握するのは比較的容易です。
いくつかの論点を抽出して、
具体的な事実を指摘していく作業を
これから進めていきます。



●●2007年10月17日●●

「京橋川・猿猴川高潮対策事業。」

朝10時に、
広島市南区比治山本町にある、
広島地域事務所建設局へ。
京橋川・猿猴川高潮対策事業について、
意見交換を行いました。
高潮対策は、
私自身宇品地区で生まれ育って、
小さいときから被害を実感しているだけに、
今までも最重要課題として
取り組んで参りました。
思い出されるのは、
平成3年9月の台風19号です。
宇品地区はほぼ全域が浸水し、
その後も塩害による停電に
悩まされました。
そして、平成11年9月の台風18号でも
浸水区域は減少したものの、
京橋川左岸と港湾施設からの浸水に
被害を受けました。
その後、
宇品地区の西側を流れる京橋川左岸の護岸は完成、
港湾施設部分の高潮対策も進んでいます。
現状では、
平成3年の台風19号規模の来襲があっても、
しのげるところまで整備は進んでいる
と考えています。
この事業は、昭和45年から進められており、
総事業費は510億円に上ります。
完成予定は平成24年で、
残るは猿猴川沿いの仁保地区等
になっています。
非常に大事な工事であることは間違いありませんが、
先日猿猴川沿いの左岸、
西蟹屋四丁目にお住まいの方々から、
「工事による地盤沈下が影響し、
家屋に被害が出ている」、
というご相談を受けました。
護岸部分で最大約70p、
近接している民家でも、
最大約16pの沈下が確認されている、
とのことでした。
当然これは、
補償対象として
県当局と交渉が必要な案件ですが、
「@工事地域における事前の地盤調査は
ちゃんと行ったのか、
Aこれだけの地盤沈下は
事前に予測できなかったのか、
B今後、この地域の
地盤全体の安全性はどうなのか」、
といった課題があることも事実です。
地域の方々からのご要望を元に、
必要に応じてこうした課題にも、
取り組んでいく必要がある
と考えています。
午後からは、
事務所で来客対応を行った後、県議会へ。
現在、
私の所属する民主県政会の予算要望
の取りまとめを行っています。
詳細につきましては、
後日ご報告いたします。



●●2007年10月18日●●

「三菱広製OB会、広島県職労との勉強会。」

朝10時半から、
農林水産委員会正副委員長会議。
明日開催される委員会での
議論について意見交換。

12時からは、メルパルク広島へ。
三菱広製OB会にお招きいただき、
出席しました。
100名近くのOBの方々がお集まりでした。
さすがに、と感じたのは、
会社側を代表されて出席された
広江副所長のご挨拶です。
原稿を準備され、
それに目を落としながら、
約15分間にわたり会社の近況をお話されました。
思いつきや自分の主張ではなく、
客観的に現在の三菱重工広島製作所の状況を
お伝えしたい、
という思いが感じられる内容でした。
先月14日に、打ち上げに成功した
月探査衛星「かぐや」(H2Bロケット)
の主要部品である「タンクドーム」の製造を
手がけているお話や、
新規事業として、
有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス 
水銀を使わない発光装置で、次世代照明の期待が高い)のお話、
先日も紹介したがん治療のための最新装置
となる放射線治療装置のお話
(厚生労働省の認可がおり次第、受注活動を本格化)等、
多岐にわたる生産品目では、
全国に展開する三菱重工各製作所の
「ミニ重工」として成長を続ける
広島製作所の現状を、
わかりやすくていねいに説明されました。
約3000人のOB組織、
2000億円の売り上げをあげる
2000人の現役組織
(何と年間一人一億円の売り上げを
上げていることになります)、
広島における
「ものづくりのトップ集団」であることは
間違いありません。

その後県議会に戻り、来客2件。
3時半からは会派幹事会の後、
広島県職員労働組合との勉強会。
広島県人事委員会の勧告も出て、
12月定例会前、
また予算要望前に、
県庁組織の再編の事や、
地方分権施策の意見交換を行いました。
終了後6時からは、
場所を変えて会派政策懇談会。
予算要望時期を前に、
県幹部との意見交換を行いました。



●●2007年10月19日●●

「農林水産委員会。」

朝10時から、会派総会。
10時半から、農林水産委員会。
懸案だった世羅町森林組合の
不正経理事件の報告があり、
質疑の焦点もこの問題でした。
単純な粉飾決算の事件で、
横領や利益隠しといった
事件性のない内容でした。
県の補助事業等の縮小の影響で、
売り上げが落ち込み、
赤字計上すべきところを、
架空の事業を起こして
それを未収金として扱い、
黒字として決算した、
というものです。
私は、
約2億数千万円の売り上げの会社が、
初年度で3千万円の未収金、
そしてこれは
永久に回収できないお金ですから
当然累積し、
3年後には1億円近い額に上っていました。
誰でもおかしい、
と気づくと思いますが、
県の常例検査では発覚していません。
県当局は、
巧妙に粉飾されており、
発見は容易ではなかった、
という見解です。
1億円の未収金を異常だと感じなかったのか、
未だに不思議に感じますが、
県の補助事業の縮小は、
県下の森林組合が
直面している共通の課題です。
また、農協や漁協でも
同じ課題に直面しているはずです。
県の条例検査は
そういった意味で
非常に重要だという意識で、
もっと厳しくチェックする必要がある、
と指摘しました。

終了後、
地域の訪問活動の後、
県議会に戻り、
財団法人ひろしま産業振興機構
及び産業科学技術研究所の決算状況について、
勉強会を行いました。



●●2007年10月20日●●

「会派の予算要望。」

朝6時起床後、
6時半から早朝自主トレ(元宇品コース)。
9時には事務所へ。
今日は、会派所属の議員の皆さんに、
昨日期限を切っていた
来年度予算要望の整理を、
行わなければなりません。
当初予算への要望活動は、
会派にとっては非常に重要な活動です。
特に、現在私が所属している民主県政会は、
15名で構成する県議会第二会派です。
各議員の思い、
会派の主張等、
的確に県執行部に伝えていく
必要があります。
昨年度の要望事項の結果を
十分に検討しながら、
新年度要望を作成していきたい
と思います。
私は現在、
会派の政調会長という立場を
いただいていますので、
この作業は年度内でも
大事な仕事です。
今後は、政調会(私を含め4名の議員で構成)
での議論を経て、
県執行部とのすり合わせを行い、
来月上旬には会派総会で正式決定、
中旬には知事に提出する予定です。

6時からは、
宇品神田神社の
秋季例大祭前夜祭に出席。
明日は宇品地区の秋祭りです。



●●2007年10月21日●●

「比治山学区町民運動会、宇品神田神社秋祭り。」

今日は行事が重なってしまいました。
これは毎年のことですが、
まず朝9時に比治山小学校で行われている
比治山学区町民運動会へ。
恐縮ながら、
開会式のみで失礼させていただき、
自宅に戻り、
町内の子どもみこしの練り歩きの
お手伝いに参加しました。
最高の秋晴れで、
子どもたちと一緒に
楽しい時間を過ごした後、
役員で反省会(アルコールも入っていますが)。
昼過ぎには、
あんまりお酒がまわらないうちにと、
約1時間かけて、
例の幟の撤収と
お神輿のかたづけを行いました。

そして4時からは、
神田神社の秋季例大祭に出席。
今年からは、
神田神社総代会の顧問にもご指名いただき、
地域文化の中心としての
宇品神田神社の役割にも、
積極的に関わっていく決意です。
秋晴れにも恵まれ、
祭一色の二日間でした。



●●2007年10月22日●●

「マスコミ。」

朝8時半から、
宇品ジャスコ前にて街頭演説。
秋晴れで、
マイクを通した私の声も、
いつもよりよく通る感じがしました。

今日は午前中、
某民放を訪問しました。
最近、マスコミ報道によって政局が動く、
という現象が当たり前になってきています。
映像から伝えられる当事者の表情や発言が、
見ている人に刺激を与え、
ある方向に世論が向いていく
という現象です。
撮られたほうは、
発言の一部分だけを切り取って、
偏向的に伝えられた、
と不満を表明している場面も
良くあります。
私自身も経験がありますが、
発言の真意を曲げて伝えられる、
というのは、
非常に残念で、
ストレスの溜まる出来事です。
取材記者の能力を疑うような記事にも、
何度も接しましたが、
こうしたやりとりもその場限り、
つまり放送されてしまえば、
記事になってしまえば、
いくらクレームを突きつけても意味がない、
ある意味危険なやりとりを
行っているわけです。
ましてや、生放送とかだと、
修正はききません。
事実を伝える、
というのは非常に大事な仕事だと思います。
先ごろミャンマーのデモ取材中に、
お亡くなりになられたカメラマンの方には、
非常にシンパシーを感じますし、
その記者魂には
心からの敬意を表したいと思います。
一方で、
国内の複雑な事件をどう伝えるのか、
大きな政治・経済の流れの中で、
その事件はどれだけの意味を持つのか、
といったことをよく考え、
偏向なく伝えて欲しいものです。
4年ぐらい前までは、
広島県議会の一般質問は、
テレビ中継が入っていました。
今でも予算特別委員会は
テレビ中継されていますが、
視聴率は低迷しているようです。
ありのままを伝えて、
面白いと感じていただけるような議論を、
私たちも心がけないと、
と考えています。
こんなことを考えながら、
用件を済ませ県議会へ。
午後は、来客が2件ありました。
夜は自主トレ(大芝水門コース)。
季節も良くなり、
今週はしっかり体を動かしていこうと思います。



●●2007年10月23日●●

「訃報。」

朝、訃報をいただきました。
お世話になっている
広島地方行政研究所の
山口 氏康理事長の、
奥様が今朝方亡くなられた、
というものです。
ここ数ヶ月、
市議時代には常に強気で、
私心を捨て
正義を語っておられた山口先生が、
臥せっておられる奥様のことや、
一人で過ごしている近況をお話される姿に、
だいぶ弱っておられるなあ、
と感じていた矢先でした。
今日のお通夜では、
臨終に際していろんな葛藤があったことや、
死というものを的確に捉えた感想が、
先生のごあいさつを通じて伝えられました。
本当に残念な、つらい訃報でした。
明日は葬儀です。



●●2007年10月24日●●

「地下室の手記」 ドストエフスキー。

11時から西区草津新町に営まれた
山口家の葬儀に出席。
その後、県議会に移動し、
1時から来客3件。
先日、
「地下室の手記」 ドストエフスキー
(光文社古典新訳文庫)を読み終えました。
世間から社会的存在であることを否定され、
自らも俗世間から距離を置き、
地下室という永遠の自意識の中に
閉じこもる主人公の小説です。
第一部は、哲学的な章で、
なぜ地下室なのか、
世間への痛烈な批判が述べられています。
「正常でポジティブなものだけが、
つまり平穏無事な幸福だけが
人間にとって有利なものだと、
なぜあんた方はそれほど断固として
勝ち誇ったように言うことができるのだ?」
といった問いかけが続きます。
第二部は、非常に世間的な出来事の心理描写で、
「罪と罰」同様、
娼婦とのやりとりが圧巻です。
現代における地下室、
このインターネットの世界もそうだと思います。
「生きた生活」とは何か、
を19世紀後半に追い求め、
現代にその予言を残しているドストエフスキーは、
あらためて偉大だと感じた作品です。
ちなみに、
ここ数年ドストエフスキーに熱中していますが、
その前は大江 健三郎、司馬 遼太郎、
さらに前は三島 由紀夫と、
作品を読み漁っていく時期が
あるようです。
次は、大著「レーニン」トロツキー
に挑戦します。



●●2007年10月25日●●

「平成20年度予算編成に対する要望。」

午前中は事務所で、
予算要望書の原稿書き。
午後2時過ぎから県議会にて、
政調会(15名の民主県政会では、
4名で構成する政調会を置いています)で、
平成20年度予算編成に対する要望素案を
協議・作成しました。
この後各項目について、
所属議員からの意見を募り、
財政当局とも事実関係や字句修正などを終え、
来月8日の会派総会において成案になる予定です。
その後、知事に提出するわけですが、
議員(議会)には、
予算編成権も執行権もありません。
修正権は認められていますが、
それも大幅な修正は、
地方自治法に抵触する可能性があります。
予算に対して、
我々の考え方を反映させるためには、
編成段階においてアプローチすることは
大事な議員活動だと考えています。
今までは、
予算規模全体が拡大していたため、
義務的経費(人件費等)や
投資的経費(公共事業等)を割り当てた後でも、
議会の要望に答えて
公共事業の箇所付けを増やしたり、
調査費をつけたりということが可能でしたが、
年々予算規模全体が縮小している現在では、
編成段階から
予算についての我々の考え方を
伝えておかなければ、意味がありません。
したがって今年は、
例年年明けに行っていた予算要望を前倒しして、
11月中旬に行う予定です。
会派の成案づくりに、
そしてその手続きに、
慎重に取り組み、
少しでも成果を上げていきたい
と考えています。

夜は、若手経営者との懇親会。



●●2007年10月26日●●

「今後の政局の行方。 」

朝方、久しぶりに激しい雷雨がありました。
さらに寒くなっていくのかな、
と感じながら、
午前中事務所で事務作業を
していました。

午後は、
5年ぐらい前から関わっております
NPO法人の総会に出席しました。
総会決議の後、
講演会があり、
講師は先の参議院選挙で惜敗された
島根県の景山 俊太郎先生でした。
今後の政局の行方というテーマで、
約1時間お話がありました。
@国会は11月10日の会期末に向け、
延長するかどうか、
テロ特措法をどうするのか、
といった課題で、
緊張感が高まっていく、
A前防衛事務次官の問題は、
逮捕者が出る事態に発展する可能性があり、
政局への影響も懸念される、
B来年の通常国会開会後は、
福田政権が
地方政策・高齢者医療費・
年金の名寄せ問題(5千万口)で、
どれだけ支持率を上げるような施策が
打ち出せるかが大きな課題で、
C支持率の推移と、
予算関連法案の参議院通過は
セットで動いていくだろう、
といった見通しを示されました。
いずれの局面でも解散総選挙含みで、
一触即発といった感じです。
ただ当の選挙区では、
統一地方選、
参院選と選挙続きで、
自民党も民主党も目立った動きがない、
と捉えています。
まだ選挙態勢に入っていない、
と考えていいと思います。
政権交代があるのか、
大事な選挙が目前に迫っていることは確かです。


●●2007年10月27日●●

「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(元特捜検事・弁護士 田中 森一著 幻冬社)。



昨日の夕方、
久しぶりに紀伊国屋書店に行って、
一番に目に留まったのが、
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」
(元特捜検事・弁護士 田中 森一著 幻冬社)
という本です。
先日、新聞の広告で見て、
単なる暴露本かと感じていましたが、
手に取ってみるとさにあらず、
で早速購入しました。

今日は少し風邪気味だったので、
午前中地域行事に出た後は、
家でこの本を読みました。
本人が特捜検事として手がけた事件を、
非常に客観的に捉え、
記述していることや、
複雑な経済事件を
わかりやすく解説していること等、
引き込まれて読んでいきました。
400ページにわたる大作ですが、
前半が検察時代のことで、
後半がヤメ検弁護士時代のことと、
大きく二部構成になっています。
私にとって検察官というのは、
本当に遠い存在、
人間的なリアルさをもって
考えられない職業です。
少なくとも同級生や親族で、
検察官になっている人間が回りにいない、
というのも影響していると思います。
著者は特捜部で、
撚糸工連事件(1986年)や
平和相互銀行不正融資事件等を扱った鬼検事でした。
しかし、手塩にかけた事件が
次々と上層部の方針とぶつかり、
嫌気が差して辞職したとしています。
私がおやっと思ったのは、
「上層部の方針とぶつかる」というのは、
特捜部といえども、
外部特に政治的圧力によって
捜査が中断されることがある、
という点です。
検察庁は法務省に属しているわけだから当たり前、
と言えばそれまでですが、
ここまで生々しく、
実名入りでその状況に接すると、
検察といえども、
政治権力の前には無力なのか、
と考えてしまいます。
もう一つは、
司法試験に合格し
(著者は岡山大学法文学部在学中に合格)、
司法研修所を経て検事に任官するわけですが、
東京あるいは大阪の特捜部に入るのがエリートで、
さらにその中でも、
法務省中心に経歴を積む超エリートと、
エリート検事間の閨閥グループと、
捜査部門たたき上げグループに
分かれているということ、
こうした内情を知ると、
私が経験した自衛隊制服組や
県庁マンと大して変わらないな、
と感じてしまいました。
正義の味方というイメージが、
変わったのも事実です。
後半の弁護士になってからは、
ちょうどバブルの絶頂期で、
著者が接触したバブル紳士や政治家は、
名の通った方々ばかりで、
読んでいると夢中になります。
この続きはまた明日に。



●●2007年10月28日●●

「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(元特捜検事・弁護士 田中 森一著 幻冬社)(2)。

今日も昨日に引き続き、
午前中地域行事に出席しましたが、
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」
(元特捜検事・弁護士 田中 森一著 幻冬社)
を読み続けました。

そもそも私がこの本を手にとったのは、
「藤田知事後援会問題」で、
広島地方検察庁の動きが
大きな焦点だったころ、
検察庁に関する知識が
全くといっていいほどない、
ことに気づいたからでした。
弁護士は日頃よく接触しますし、
裁判官は民事訴訟等の判決で、
その仕事内容は想像できます。

この事件は、2005年11月28日夜、
広島県の藤田 雄山知事の個人後援会が、
2003年12月に会費2万円で開催した
パーティー収入を過少に報告したとして、
広島地方検察庁が
政治資金規正法違反容疑で
強制捜査に着手したことから始まりました。
強制捜査の当日は
福山市で
当時の平 浩介県議の副議長就任パーティーが
開催されており、
私もそちらに出席していました。
知事も機嫌よく来賓としてのあいさつをし、
その後も会場で参加者と楽しく歓談されていたので、
想定外の出来事であったと思います。
知事選挙の投開票日が11月6日だったことを考えると、
この事件の捜査の端緒は、
選挙戦の前からだったとも考えられますが、
この本を読んで、
広島地検に対してこの事件を、
告発した人物がいることは確かだと思います。
そしてその後
後援会元事務局長は逮捕されます(2005年12月9日)。
この段階で、検察は
政治資金規正法違反(虚偽申告)の事実は
つかんでいたんだろうと思いますが、
この違反だけで逮捕するというのは異例です。
実際に虚偽申告は
修正申告する例もたくさんあり、
逮捕に値する罪とは思えません。
つまり、検察は
公職選挙法上の買収罪にあたる証拠も押さえており、
事務局長の自供を取ろうとした
と考えられます。
20日の拘留期間の後12月28日に起訴、
証拠隠滅の恐れがあると
保釈は許可されませんでした。
そして2月20日の公判期日までが、
検察にとってはある意味勝負だったんだろう、
と思います。
結局買収罪に繋がる自供は得られなかった、
ということになります。
4月13日の公判は私も傍聴しましたが、
検察官が最後に被告人に対し、
「あなたは真実を正直に話していますね」
と問いかけましたが、
被告人はそれには応えず黙秘、
取調べでもずっとこんな感じだったんだろう
と思います。
著者によると、
この容疑者から自供を引き出す(落とす)こと
が検察官の一番大事な仕事だとしています。
捜査方針に政治的な圧力がかかった
と見る向きもありますが、
私は単純に自供を引き出せなかっただけだ
と傍聴していて感じました。
事件自体はこれで終結、
ある記者が言ってましたが、
具体的な争点もなく、
裁判所にとっては
「取るに足りない事件」
にすぎないそうです。
ただ、この後、
時効が過ぎた過去の知事選をめぐり、
冒頭陳述で触れられた部分が問題となり、
県議会ではその対応に追われていますが、
刑事事件として見るとこうした経緯です。
この本を読んで、
検察庁という組織が身近に感じられ、
人間臭さが感じられてきました。
こうした報道にも
耳をすませていきたいと思います。



●●2007年10月29日●●

「企業会計決算特別委員会 現地調査。」

朝8時から、
皆実町六丁目交差点にて街頭演説。
9時には県議会へ。
9時半から、
企業会計決算特別委員会 現地調査に
参加しました。
まずは
広島西部水道事務所 白ヶ瀬浄水場(広島市佐伯区)へ。
昼食を経て、
次に千代田工業・流通団地へ(山県郡北広島町)。
市内に戻って最後は、
県立広島病院(広島市南区)。
詳細は、個別審査・総括審査の状況で
お伝えしたいと思います。

夜は、
全国環境整備事業協同組合全国大会
(於 グランドプリンスホテル広島)
の懇親会に出席。



●●2007年10月30日●●

「逆療法。」

先週金曜日の夜あたりから、
風邪気味です。
熱がでるほどではないのですが、
鼻のどの調子が今ひとつです。
身体もなまっている感じなので、
思い切って逆療法、
お昼休みに
自主トレ(大芝水門コース)をして
汗を流しました。
これで、良くなるといいんですが。
午後は、
松下電器産業の方にご案内いただいた、
パナソニック最新機器展(県立産業会館)へ。
明日からは、
農林水産委員会の県外調査(二泊三日)です。



●●2007年10月31日●●

「農林水産委員会 県外調査(1)。」

今日から二泊三日の予定で、
山形県・宮城県への県外調査です。
朝9時半広島空港発の便で羽田へ。
羽田で乗り継いで、
山形空港に向いました。

今までは、
仙台空港への直行便が広島を朝出て、
仙台を夕方出る便があり、
東北出張に便利だったわけですが、
変更され、
広島発が夕方の便しかなくなりました。
つまり、
仙台を朝出て、
広島を夕方出るというパターン、
仙台に有利に変更されたわけです。
こんなところにも、
広島元気がないな、
と感じさせられます。

さて、初めての山形県です。
調査先はJA全農山形米穀部です。
米の生産目標数量割り当てが、
消費動向に従い、
生産者自らが行う制度に変更されましたので、
それぞれの県が、
売れる県産米づくりを進めていくこと
が重要になってきました。
広島では「安芸ロマン」を
薦めているようですが、
「コシヒカリ」も人気があるそうです。
それぞれの気候風土にあった品種を開発し、
おいしい米を栽培する、
というのは広島県や農協の重要な仕事です。

広島県の農業産出額(平成17年)は約1000億円、
うち米の占める割合は約30%となっています。
山形県は農業生産額が約2100億円で
広島県の倍ですが、
県勢を比較すると人口が122万人で、
県の財政規模は約6500億円、
山形県の県内総生産が約4兆円
(広島県は約10兆円)となっています。
大まかに、
広島県の約半分といった感じです。
ちなみに明日調査予定の宮城県は、
農業生産額が約2000億円、
人口が240万人、
県予算が7000億円、
県内総生産が約9兆円となっています。
広島県とほぼ同規模といえます。
ただ米の生産については、
山形県は農業生産額に占める米の割合が44%、
宮城県でもほぼ同割合で、
米の生産能力は
非常に高いと言えます。
食糧自給率も、
カロリーベースで、
山形が127%、
宮城が78%(広島は23%)、
生産額ベースで、
山形が156%、
宮城が106%(広島は39%)
となっています。
山形県は庄内平野や
山形盆地などの平野部における
大規模な稲作経営、
宮城県も仙台平野や、
北上川流域の平野部で、
大規模経営を行っていました。
かつて奥の細道で有名な松尾 芭蕉が、
このあたりの美田を賞賛したそうですが、
中山間地域が四分の三を占める
広島県とは全く違う風景が
続いていました。
山形県の米の品種は「はえぬき」です。
米の食味ランキングで、
新潟のコシヒカリとともに、
13年連続で特Aランクを獲得しています
(広島の安芸ロマンA´です)。
宮城県も有名な「ひとめぼれ」があります。
おいしい米にこだわって、
県と農協、農家が一体となった
取り組みが進められているな、
と感じました。
山形県では、
「水と大地と技の共生による、
山形JA米 日本一売れる米づくり運動」
を展開しています。
広島県としてどう対抗していくのか、
大きなテーマです。
今日はこののち、
バスで宮城県松島まで移動、
宿泊しました。


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