こうじマガジンNO.156(2007.08.10)  
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こうじマガジン NO.156


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「2007年7月21日から2007年7月31日までのダイアリー」



●●2007年07月21日●●

「鹿児島市へ」

昨年秋ごろ、県議選を前に、街頭演説とパワーウォークに
明け暮れる日々の中で、自らを鼓舞していくため、
「翔ぶが如く」 司馬 遼太郎 前11巻を
3ヶ月ぐらいかけて読破しました。
征韓論を主張し、敗れた西郷 隆盛が、
西南戦争に突入し、敗北していく約10年間ぐらいを
克明に描いた作品です。
それまで私は、西郷 隆盛というと、維新の立役者で、
冷静な指導者というイメージしかもってなく、
この時代の人物としては、吉田 松蔭に強くひかれていました。
しかし、この作品を読んで、西郷 隆盛に強く興味を持つようになり、
さらにちょうどこの頃、映画「ラストサムライ」を見る機会があり、
主人公と西郷 隆盛が重なって、ますます好奇心に火がついたわけです。

昨年末、三菱重工労働組合広島支部のご推薦をいただき、
親しく接触させていただいている間に、
鹿児島県出身で、歴史通のS部長とお話する機会があり、
西郷や西南戦争、薩摩藩の気風等、そのお話にたいへん刺激を受けました。
「選挙で勝って、終わったら是非鹿児島をご案内ください」
とお願いしておりましたが、いよいよ実現の運びとなったわけです。
S部長はじめ、渡部 武中原好治応援団団長や、
会社関係者を含め総勢10名で、広島駅からJRで約4時間の道のり、
午後一杯かけて、幕末から西南戦争にかけての足跡をたどってきました。
西郷 隆盛は49歳、その幼なじみで晩年対決することとなった、
大久保 利通は47歳で、亡くなっています。
西南戦争でも17歳を始めとして、若い命がたくさん失われています。
お二人とも明治維新の時は、30代です。
こんなに若い時に日本を動かしていたのか、と改めて感動しましたし、
「無駄に生きてはいないか」と一同おおいに考えさせられました。
出張等で鹿児島には数度行きましたが、こうしてしっかりと
町を歩いたのは初めてでした。
この日は鹿児島泊。



●●2007年07月22日●●

「知覧町へ」

S部長から刺激を受けたのは、薩摩藩や西郷 隆盛だけではありません。
知覧町にある特攻平和会館も是非見たほうがいい、とのことで
今日は全員で知覧町へ。
この日のために、「特攻」関連の本を2冊読みました。
「指揮官たちの特攻」 城山 三郎と、「雲の墓標」 阿川 弘之です。
いずれの本にも知覧の話は出てきません。
両方とも、海軍航空隊の話で、知覧は陸軍の航空隊だったからです。
海軍側の特攻隊員のための顕彰施設は、
海上自衛隊鹿屋基地内にあったのを記憶していますが、
九州各地の海軍基地から飛び立ったわけで、
それらをまとめて顕彰している施設はないと思います。
陸軍航空隊では、1036名の若い隊員が、
特攻によって命を失っています。
その遺書が展示のメインです。
涙なしには読めない、貴重なものです。
「自らの命を犠牲にして、敵を倒す」という方法は、
戦略でも戦術でも、兵器の開発にも全く関係のない、
昔からある単純な発想です。
しかし、今までテロとしか呼ばれていなかったこの発想を、
国家が作戦と称して、実行したのはこの特攻が初めてです。
現場の最前線では、その緊張感から瞬間的に
「自らの命を犠牲にして、敵を倒す」ということは古来あったと思います。
組織的にそのことを実行したのは、特攻が初めて、という意味です。
しかし、ベトナム戦争では
民間人(女性や子どもも含めて)も動員しての、
ベトコンによる自爆攻撃に米軍は悩まされ、
最終的には撤退に繋がりましたし、
その後も9.11のテロ、
未だに続くパレスチナやイラクでの組織的自爆テロを見ていると、
これからの戦争は、正規軍同士の激突というよりも、
この「テロとの戦い」であることは間違いありません。
人類史上最初の組織的な自爆攻撃は、この特攻だった、と私は考えています。
もっともっと真剣に研究対象にするべきですし、
特にその死の捉え方・死生観の確立に至る苦悩、は重要なテーマです。
それ以上に、こうした英霊のもとに今の我々の繁栄があるということを
忘れてはいけません。
「無駄に生きていないか」、という問いが再び胸に迫る、貴重なひと時でした。
この日も鹿児島泊。



●●2007年07月23日●●

「鹿児島から広島へ」

午前中、桜島を見学して、
JRにて広島に向いました。
やっと実現した「鹿児島への旅」でした。
学ぶべきものが多くあり、今後の活動等に
しっかりと生かしてまいりたいと存じます。



●●2007年07月24日●●

「会派幹部会」

朝9時半から、会派幹部会。

県議会では今年度、議長を会長に、会派代表者で構成する
議会改革推進委員会の下部機関として、
政務調査費等検討部会を設置し、
政務調査費や費用弁償のあり方等について、
大きく見直すこととしています。
会派としての考え方をまとめていく必要があるため、
議論に入りました。
赤城農相の事務所費問題に見られますように、
「政治と金」の問題は、グレーの部分が多すぎて、
不信を招いてしまっていることは事実です。
私自身は公開が原則だ、と考えていますが、
どういった活動にどれだけ使えるのか、といった基準すらない、
というのが実態です。
他県の事例も参考にしながら、細部にわたって基準を作り、
領収書を添付して公開する、という方向にもっていきたい、
と考えています。

夜は、自主トレ(大芝水門コース)。



●●2007年07月25日●●

「参議院選挙(4)」

朝6時半、地域子ども会のラジオ体操の当番日。

朝9時から、来客や市内のあいさつ回りをこなしました。

午後2時からは、会派幹部会。

夜6時前からは、参議院選挙の応援で、横川駅前にてビラ配り。
その後、西区民文化センターで、決起大会に参加。

いよいよ最後の3日間に突入します。
「選挙は最後の3日間」と言われますが、
私自身も過去6回の選挙経験から言って、この言葉通りだと感じています。
体力の消耗もピークに達し、客観情勢もほぼ見えてきた中で、
「もうだめだ」と思うのか、「もう大丈夫だ」と思うのか、
でその差が縮まったり、広がったりするからです。
国政選挙には、風が大きく影響します。
マラソンでもそうですが、追い風はあまり感じませんが、
向かい風は敏感に感じ取れます。
逆風のときこそ、この3日間が勝負ですし、追い風のときは油断大敵、
投票日まで、全力で駆け抜けていきたいと気勢をあげました。



●●2007年07月26日●●

「地域課題」

朝6時半、地域子ども会のラジオ体操の当番日。
自衛隊で仕込まれた「正確な体操」を
子どもたちに指導しながら、
早朝から汗だくになりました。

朝8時半から、地域課題を話し合うため某社(宇品地区)を訪問。
また、大型店立地に伴う、交通・騒音問題が、大きなテーマになりつつあります。
宇品周辺では大型プロジェクトが動き出し、地域課題が増えてきています。
慎重にかつ大胆に、地域の活性化のため、頑張っていきたいと決意しています。

夜は自主トレ(大芝水門コース)。



●●2007年07月27日●●

「80歳の挑戦、自転車で日本一周」

昨日の夜、何気に事務所でテレビをつけていると、
NHKの「クローズアップ現代」で、80歳で自転車に乗り
日本一周に挑戦し、約一年半かけて、
ようやくゴールである長野県の自宅に、
あと20キロまで迫ったトンネルで、
大型トラックにはねられて亡くなられた、
その方の膨大なメッセージを伝えていました。
このニュースはリアルタイムで聞いて、
かわいそうだな、と感じたきりでしたが、
なぜこんな過酷な挑戦をしたのか、
その一年半にわたる旅程はどんなものだったのか、
興味を持っていましたので、番組を集中して見ました。

挑戦の動機は、「大東亜戦争で亡くなった戦友たちに、
もう一度青春を味わう挑戦を残したい」というものでした。
「悩んだらまず行動」、無駄であっても、歩いたり走ったりして、
まず動くこと、というのは大事だ、と私も考えています。
先日の鹿児島ツアーでも、「無駄に生きていないか」という問いに、
どう答えるのか。まず、行動しかありません。
そして道中、日本各地で若者たちと交流していたそうです。
「一歩前に出る勇気を持ってください」というメッセージを、
居住まいを正して伝えられたそうです。
この言葉ほど、それを語る人物の重さが
反映されるものはない、と思います。
「まず、お前がやれや」、という反応が来るともうだめです。
こうした自己啓発の言葉は、本当に実践しているひとの言葉しか響かない、
ということです。
自己に厳しく、欲を絶ち、修行僧のように困難に挑戦していく、
という姿に人々は感動し、メッセージが伝わっていくんだと改めて感じました。

解説者の大林 宣彦映画監督が、
「今、青春という言葉が、誤解されている。青春とは、甘く切ないものではなく、
困難に立ち向かい、それを乗り越えていくことにある」
とコメントされていました。
この言葉も、胸に響いた言葉です。
おおいに考えさせられる番組でした。

夜は自主トレ(大芝水門コース)。



●●2007年07月28日●●

「参議院選挙(5)」

朝6時半から、子どもたちと早朝自主トレ(元宇品コース)。

いよいよ参議院選挙も最終日です。
17日間に及ぶ全県選挙というのはやはり大変で、
応援している候補者が、広島市に入るのは半分以下の7日程度で、
私の選挙区南区に入るのは、一日弱で、
これも3日ぐらいに分散しますので、
細切れの数時間ということになります。
今日は最終日ということもあり、午後から選挙カーに乗り込んで、
マイクを握りました。
16日の反応がどう変わっているのかと思いましたが、さらに好反応でした。
年金問題は争点になりにくい、と思いましたが、
街頭での反応はやはりこの問題に敏感です。
あすの結果におおいに期待したいと思います。



●●2007年07月29日●●

「参議院選挙(6)投票日」

朝10時半から
長女の小学校の友達のバレエ発表会を見に厚生年金会館へ。
バレエの発表会といっても、定員2000人の会場が、
三階まで一杯になるほどの大規模なものです。
こうした子どもの習い事の会に参加させていただくと、
その熱心さに圧倒されます。
少子化といっても、こうした分野は
ますます盛んになっていくんだ、と関心しました。

午後5時からは、
西区横川で「掃除の会」関係者の懇親会に参加。
今日は岩手県盛岡市からゲストが来られて、
その方のお話に刺激を受けました。
「掃除の会」の皆さんとのご縁は、いつも勇気と刺激をいただきます。
大切にしたいご縁の一つです。

そして、今日はいよいよ参議院選挙の投票日です。
10時過ぎごろ、家内と投票に行きました。
期日前投票が伸びていると聞いていましたので、
4月の統一地方選と同じぐらいの投票率かなと感じましたが、
広島市南区の投票率は52.27%で、
県議選南区の投票率52.31%とほぼ同程度でした。

「佐藤こうじ」さんの選対から、当確が出るのはどうも早そうだ、
と聞いていましたので、7時半には「佐藤こうじ」さんの事務所へ。
予想通り、投票終了直後、8時過ぎには当確、万歳三唱と、
あっという間に勝利宣言、
民主党の大躍進の結果でした。
中国地方でも、岡山・鳥取・島根の一人区で自民候補が落選と、
びっくりするぐらいの勝利です。
期間中街宣カーに乗ってマイクを握りましたが、
反応は良すぎるぐらいで、街頭演説をしても、
年金問題への反応が敏感だ、と感じました。

広島市の得票を分析しますと、
佐藤さんが19.1万票で、
溝手さんが14.2万票、
河野さんが9.8万票、
その他5.8万票でした。
県東部に厚く、西部では知名度不足、と言われていた佐藤さんが、
大健闘です。
今後の政局は、安倍総理が続投を表明したことで波乱含みです。
しばらく政治の季節が続く予感がします。
民主党の課題は、地域に根づけるかどうかだと考えています。
地域で着実に実績を積み上げていく、
そうした努力と結果が、政権を任せられる、
という信頼感に繋がっていくと思います。
今回は「風の選挙」でしたが、
この結果を受け、国会での審議や
地域活動で成果を上げていくことが必要です。
次の大型選挙が「逆風の選挙」にならないためにも。



●●2007年07月30日●●

「会派総会」

11時から県議会控室にて会派総会。
8月1日に開催する新会派結成のパーティの打ち合わせ
が主な議題でした。
昼からは、市内の企業・労組のあいさつ回り。
昨日の選挙結果を受けて、話題には事欠きません。
夜は日頃よりお世話になっている
「南 一誠さん」の会に参加。


●●2007年07月31日●●

「原爆被爆者対策事業」

毎年8月6日を目前にしたこの時期に、
「原爆被爆者対策事業概要」という冊子が
広島県と広島市から送られてきます。
またこの時期がやってきた、と思うわけですが、
今日はこの冊子からご報告させていただきたいと思います。

まず、平成19年度3月末日現在の被爆者数ですが、
全国で251,834人で、
昨年比約7,700人の減となっています。
内訳は、
広島市が78,111人、
広島市を除く広島県が35,987人
となっています。
被爆者のうち約半数の方々が
広島に在住されているということになります。
次に、
被爆者の平均年齢ですが、
広島県全域で75.0歳となっています。
かなり高齢化が進んでいることがわかります。

それではこうした被爆者の方々に
どういった対策がおこなわれているかを簡単に見ていきますと、
広島県内での医療給付が約157億円、
介護保険給付が約11.5億円、
月額33,800円の健康管理手当をはじめとする手当等の支給が、
約63.4億円となっています。

予算ベースで見ますと、
平成19年度の広島県予算額が約163億円、
広島市予算額が360億円、
厚生労働省予算額が約1536億円
となります。

被爆者対策事業は大事な事業です。
ただ被爆者の高齢化が進み、
医療・介護分野でのニーズが高まっていることや、
6月定例県議会で採択された、
「原爆症認定問題の早期解決を求める意見書」
にもあるとおり、
「国は、被爆者援護法に基づき、原爆症と認定された被爆者に対して
医療特別手当の支給などを行っているが、認定を受けている被爆者は
被爆者健康手帳を有する被爆者の約1%にすぎず、
平成15年以降、全国各地で、認定申請を却下された被爆者から
却下処分の取り消しを求める集団訴訟が提起されている。
昨年8月の広島地方裁判所の判決など、
集団訴訟におけるこれまでの地裁判決は、
国が認定審査に当たって採用している
原因確率を機械的に適用すべきではなく、
被爆時の状況や被爆後の行動、
急性症状などを総合的に判断すべきである」
という問題もあります。
さらには在外被爆者への援護の問題も
早期に解決していかなければなりません。
こうした具体的な被爆者対策事業のほかにも、
核兵器廃絶への思いを発信したり、
この惨事を後世に伝えていくための努力も大事な取り組みです。
こうした複合的な取り組みを効率的に行っていくことは、
広島の大事な役割 私も深く認識しています。
8月6日を前に、今の現状についてご報告しました。

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