こうじマガジンNO.237 (2009.7.8)  

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こうじマガジン NO.237

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「2009年6月27日から2009年7月1日までのダイアリー」



●●2009年6月27日●●


「三菱広製OB会、広島防大同窓会。 」

朝10時から三菱広製OB会第37期定期総会に出席しました(三菱組合会館)。
OB会といっても3,200人の会員を擁する一大組織です。
総選挙間近ということもあり、1区から4区までの民主党候補予定者が
勢ぞろいしていました。

その後夕方5時前からは広島防大同窓会「会員のひろば」に出席しました
(広島デジタル専門学校)。今日は15期海上の横山 隆介先輩の
「歴史を学んで思うこと」と題した講演会が行われました。
防衛研修所で主に海戦史を長年にわたって研究してこられた大先輩で、
あの田母神氏と防衛大同期だそうです。

特に興味を持ったのは、「ワシントン会議(1922年)と日英同盟の廃棄」
についての部分です。『「日本外交の骨髄」と言われた日英同盟は、
大正10・11年のワシントン会議で太平洋中に葬り去られた。
日本外交史上の金字塔である日英同盟が、如何に廃棄されたか、
その真実を探る。』という先輩の論文です。

ワシントン会議は海軍軍備制限問題に焦点が当てられていますが、
もっと重要なポイントはこの日英同盟の廃棄にあり、
この後日本はひ弱な「根無し草の国際主義」を唱え、
太平洋戦争に突入していくという主張です。

この戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間)の歴史を学ぶという研究は、
ヨーロッパでは国際政治の基本中の基本ですが、
日本では全く注目されていないということに横山先輩は憤りを感じておられました。
シベリア出兵の失敗、ニコライエフスク事件、
なによりその後始末がきちっとなされなかった、
という歴史が満州事変に繋がっていく、という主張にも賛同しました。

そしてこの時期の政界で働き盛り、中堅の役割を担っていたのが吉田 茂であり、
鳩山 一郎です。彼らはなぜか戦後も政界に生き残り、
首相にまで上り詰めることになります。
そして今その孫たちが政権を賭けて争っている、
まさに連続性が確認されるのではないかとも思います。
こうした歴史をもう一度紐解いてみたいと思いました。


●●2009年6月28日●●


「 「1Q84 BOOK1」村上 春樹(新潮社)。」

「こころ」「それから」「草枕」と夏目漱石の著作を読み、
「坊ちゃん」を読んでさて次は、と考えていたところ、
新幹線での東京出張の際に退屈しない現代小説をと手に取ったのが、
「名もなき毒」宮部 みゆきでした。
それから宮部みゆきの最新版「英雄の書」を読もうとしましたが、
かなり現実離れしていて難渋していたところ、
「1Q84 BOOK1」村上 春樹の増刷版が書店に並び始めたとのことで、
先週の金曜日に読み始めました。
オウム真理教の一連の事件をヒントにしているとのことで、今夢中になっています。
しばらく睡眠時間が短くなりそうです。


●●2009年6月29日●●


「同期の桜。 」

朝から強い雨が降っていたので、街頭演説は明日に延期しました。
今日は午後から会派総会に出席し、
夜は自衛隊広島地方協力本部の舩木洋本部長(一等海佐)と夕食を共にしました。

舩木本部長とは海上自衛隊幹部候補生学校第36期として同期で、
江田島の赤レンガ校舎でともに机を並べ、汗と涙を流した間柄です。
広島に赴任していたのは以前から知っていましたが、
こうしてゆっくり話ができるのは24年ぶりということになります。
「同期の桜」は江田島の赤レンガ校舎の北側にある桜のことですが、
当時は感慨にふける余裕もなく、
時間が濃密にしかしあっという間に過ぎていきました。当然昔話に花が咲きました。

舩木本部長のご尊父は海兵73期で戦後海上自衛隊に奉職され、
さらに御祖父はレイテ海戦時の戦艦大和艦長、
沖縄作戦の時は第二艦隊参謀長の森下信衛海軍少将
(司令官は伊藤整一海軍中将で、映画「男たちの大和」では渡哲也が演じ、
大和轟沈の際「残念だった、ご苦労だった」と艦橋を後にする姿が
私にとっては最も感動した場面です、
ちなみに森下少将役は勝野洋が演じていました)という海軍名門一家の出身です。
彼自身は国立大学理系大学院出身で、私より3歳年上、
技術幹部としてこれからも海上自衛隊を支えていく人材だと思っています。
本当になつかしい時間を過ごすことができました。


●●2009年6月30日●●


「6月定例県議会閉会日。 」

朝8時から旭町・出汐交差点いて街頭演説。
途中傘が必要なこともありましたが、
梅雨の雨の合間をぬっての街頭演説となりました。終了後県議会へ。

今日は6月定例県議会の最終日で、
提出議案の採決と議会構成を決める人事が行われます。
県議会からの監査委員2名の選出、
約650億円の補正予算はじめ提出議案は原案可決と進んで、
人事のメインである副議長選挙が行われました。
結果は大曽根 哲夫議員(民主県政会、広島市安芸区)が
33票で副議長に選出されました(投票総数65票で、
他は自民党議員会の松浦幸男議員が26票、公明党の田辺直史議員が6票でした)。
議会の多数派という面では薄氷の勝利という感じですが、
議事自体は遅れることもなく淡々と進んでいきました。

私自身は総務委員長
(平成15年の生活福祉保健委員長に続き2度目の常任委員長です)、
議会運営委員会副委員長という役割を担うことになりました。
いそがしい一年になりそうです。


●●2009年7月1日●●


「会派総会。 」

今日も雨が続いています。昨日の6月定例会閉会を受け、
今日は会派総会が行われました。
会派の会長が副議長に就任されたので、
新たに芝 清議員(東広島市)が会長に就任することになりました。
私自身は引き続き政調会長として務めて参ります。

午後3時には廿日市市議会議員の広畑 裕一郎さんと
高橋 みさとさんが来られました。
昨年廿日市市の幼稚園にある滑り台で起きた園児の死亡事故に関して、
県当局の対応について意見交換しました。

幼稚園は文部省、保育園は厚生労働省という縦割りの弊害が言われていますが、
私立幼稚園の運営については行政的に誰が管理指導を行うのか、
という問題があります。私学助成という制度があり、
私立学校には一定の基準で県を通して補助金という形で税金が投入されています。
その範囲内で私学にも広島県がその運営についてチェックをする責任があります。

私立学校についてはその「建学の精神」を最大限尊重する必要がありますが、
一方で最低限の運営基準や安全性の確認については、
行政のチェックも欠かせないという面があります。
今回の事案の場合そのあたりのやりとりはどうだったのか、
さらには事故後の改善の状況はどうなのか課題があります。
今後も追っていきたいと思います。

6時半からは民主党広島1区総決起大会に出席しました(県民文化センター)。
新党日本代表、前長野県知事の田中 康夫氏の講演も行われました。
ご自身の知事としての6年間の経験をもとに、
わかりやすく政権交代の必要性を説かれました。
会場一杯の出席者で大いに盛り上がったと思います。




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