こうじマガジンNO.244 (2009.9.9)  


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こうじマガジン NO.244

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「2009年8月23日から2009年9月1日までのダイアリー」



●●2009年8月23日●●


「総選挙支援活動。」

連日総選挙支援活動に走り回っていますが、
具体的な活動内容についてはブログでは書けませんので、
一般的な状況について感じたことを書きたいと思います。

それは選挙自体が大きく変化してきているという点です。
我々地方議員の選挙も含めて今までは「知らない人には絶対に投票しない」
という大原則があって、街頭に立ったり、地縁を頼って歩き回ったり、
地域のイベントに顔を出したりして、とにかく顔と名前を覚えてもらう、
という活動に時間とエネルギーの大半を投入していました。
こうしたいわゆる活動量の結果が得票に如実に現れてくる、
つまり人柄と言ったソフトな部分も含めて全人格で勝負する
といった面が今まではありました。

しかし小選挙区制度の導入や政党助成法の成立で
政党中心の選挙に次第に変わってきて、
候補者は知らないのに「○○党だから」という理由で
実際に投票する人が非常に増えてきている状況です。
いわゆる「風頼み」の選挙です。この傾向は地方選でも同様の傾向で、
7月の都議選ではまさにこの現象で勝敗が決せられました。
多分苦戦している自民党の候補者は、相手候補との戦いというよりも、
このつかみどころのない風と戦っているという感じではないでしょうか。

とにかく「選挙は厳しくつらいもので、地域の中で鍛えられ人格も磨かれ
りっぱな政治家になっていく」という今までの考え方は
もう通用しないのかもしれません。
「日本の風土に合ってない」とか、「選挙制度を変えるべきだ」
と文句を言ってもしょうがありません。
今の与えられた土俵で結果を出すのが政治家ですから、
とにかく前に向って進んでいくことが大事だと思っています。

有権者の側も比較的冷静に合理的に判断しているようで、
候補者の人格や支援団体が一体となってかもし出す
選挙のイベント性、お祭り気分、ねじり鉢巻、熱狂
といったものはあまり感じません。
「選挙が変わってきている」と感じているのは私だけでしょうか。


●●2009年8月24日●●


「9月補正予算編成に関する知事要望。」

総選挙支援活動の合間をぬう形で、
今日2時から私の所属する会派民主県政会の会長、幹事長、政調会長(私)三役で、
「9月補正予算編成に関する知事要望」を行いました。

切れ目のない景気対策を、ということで今回の補正も
例年にない大規模なものになりそうです。
詳細につきましては後日ご報告しますが、
会派として「広島エアポートビレッジ株式会社(HAV)
に対するさらなる公金支出は行わないこと」等
四点にわたる会派の独自要望も知事に伝えました。

慣例となっていますので私もあえて「要望」という言葉を使っていますが、
本来議員があるいは会派があるいは県議会が、
知事に「要望」するというのは非常におかしい、本末転倒だと考えています。
県議会にはイエスかノーかを議決する権限、つまり最終的な決定権があるわけで、
その県議会が知事に対して「要望」するのではなく、
本来は「これをやりなさい、さもなくばノーです」と迫るのが本筋ではないか、
と思っています。こうした点も変えていかなければならないと思います。


●●2009年8月25日●●


「知事要望に対する回答。」

午後1時から財務課長よりの要望回答を、
民主県政会幹事長、政調会長(私)で受けました。
ほぼ満額査定で100億円を超える9月補正としては大規模な補正予算となりました
(詳細については後日ご報告します)。
その後県議会で打ち合わせが続きました。


●●2009年8月31日●●


「ついに決着の夏。」

民主党308議席の圧勝で、ついに政権交代が実現しました。

私自身平成5年7月に政治改革を旗印に日本新党に参加、
中選挙区時代の広島1区から総選挙出馬次点惜敗、
その後の細川連立政権下での小選挙区比例代表並立制の導入後、
二大政党制を軸にした政権交代可能な体制を作るべく、
平成7年には新進党に参加し平成8年10月には
初めての小選挙区選挙に広島1区から出馬次点惜敗と、
約5年間政権交代を目指して活動を続けました。

その後は平成11年4月に県議選に当選以来、地方自治に専念してきましたが、
平成19年4月の県議選では民主党・連合広島推薦で戦い、
さらに三菱重工労組広島支部顧問というお立場も頂き、
政党活動にも本格的に取り組みました。

県連では副幹事長として特に広島1区の選挙対策に関わってきましたので、
今回の圧勝は一つの結果が出せたものと喜んでいます。
小選挙区制の導入から政権交代まで約15年かかったということですが、
導入当時のリーダーの中には小沢一郎民主党代表代行がおられました。
政権交代にかける執念が15年かけてやっと実現したということで、
この15年はこの小沢さんを中心に政治が動いていたといってもいいと思います。

今後の政権運営が具体的にどう日本を変えていくのか、
今まで景気対策、少子高齢化、高齢者の医療費、財政再建等、
問題点の指摘はしても適切な解決策を示せなかった政府与党に代わって、
どう対策をうっていくのか大いに期待しているところです。
「今の政治に不満があるなら政権交代」が当たり前の時代に入ったわけですから、
政治に対する不満を最小限にする運営が求められています。
当然いろんな障害が出てくるとは思いますが、
めげずに進んでいただきたいと思います。


広島1区では自民党の候補が辛勝しましたが、
支援した菅川候補は中国ブロックの比例で復活当選でき、
何とか結果を出せてよかったと思いますが
(選挙運動の詳細につきましては明日のブログで振り返ってみます)、
広島県の他選挙区の勝者を見てみますと6区の亀井さんが72歳以外は、
民主党の勝者は2区松本さんが38歳、3区橋本さんが39歳、4区空本さんが45歳、
5区三谷さんが50歳と大きく若返ったという点にも注目しています。
今後の広島県を担っていくには十分な若さと可能性を秘めている
といってもいいと思います。
まさに広島県でも一気に政権交代、選手交代が進んだと言っていいと思います。

今回の選挙は、
「尊大なもの、偉大ぶっているもの、威張っているもの、
上から目線で私たちを見下した政治、あるいは政治家」というのを
突き崩していく戦いだったと思います。
単に若さだけを強調するのではなく、
新しい政治家像をともに示していきたいと思います。
これからがスタートです。今後とも連携をしっかりととって、
地域にとって最善の解決策を示していけるよう頑張って参ります。



●●2009年9月1日●●


「広島1区。」

昨日書き忘れましたが、朝8時から宇品ジャスコ前で街頭演説を行いました。
「民主党頑張れよ」とお声がけいただくこともあり、
圧勝の余韻が残る中で民主党のマニュフェストのお話をさせていただきました。

今日は広島1区の選挙戦について振り返ってみたいと思います。
8月18日(火)に公示、選挙事務所近くの稲荷橋西詰公園で出陣式がありました。
この時点では「1区はやはり厳しいのでは」という観測が多かったと思います。
候補者が街宣カーを降りた夕方5時ぐらいから
運動が終わる8時ぐらいまで街宣カーに乗り込みました。
8月も下旬ですから7時過ぎには暗くなり、
顔が見えなくなるということにも気づきました。
有権者の反応も「選挙がいよいよ始まったか」という感じで、
民主党への支持が強いという感じはあまり感じませんでした。

8月19日(水)にはこのブログでもすでにご報告いたしましたが、
菅直人代表代行が来援され、私も街宣カーの上でマイクを握りました。
この日は本通り叶屋前でしたが多くの方々に立ち止まっていただき、
炎天下でしたが手応えを感じ始めた街頭演説でした。

翌20日(木)は南区の産業会館で個人演説会を行いました。
そして流れが変わったのが21日(金)で、
朝日・読売・日経各誌が一斉に情勢分析を載せ、
広島1区が競っている状況だと報道されました。
手探りで行っていた運動でしたが、民主党への追い風が吹きまくっている
ことを裏付ける調査結果で、広島1区も頑張れば何とかなる、
と陣営も勢いづいた日でした。

22日(土)は中心部パルコ前での街頭演説と本通練り歩きを行いました。
選挙期間中候補者はほとんど街宣カーに乗りっぱなしの状態で、
後から考えると「菅川洋の顔と名前を急速に浸透させるためにはこれしかなかった」
と思いますが、候補者にとっては非常にきつい選挙だったと思います。
通常の選挙では、「あまり関わりたくない、聞きたくない」
と思っている有権者の心を何とかこじ開けて、支持をお願いしないといけませんが、
今回は政権交代イコール民主党が定着し、民主党への支持が安定していましたので、
すでに開かれている有権者の心に菅川洋を一致させればよいわけで、
急速に浸透していったと感じています。

23日(日)は中区中心部に集中して街頭活動を行い
(私自身は基町高層アパート群で徹底的に街頭活動を行いました)、
週が明けて月曜日は朝一番で似島に渡りました。
ここでも桟橋で数十名の方々が到着を待っていてくれ、
確実な手ごたえを感じました。

25日(火)には東区区民文化センターでの個人演説会、
26日にはツルネン・マルテイ参議院議員を迎えての街頭活動、
そして27日には中区アステールプラザ大ホールでの決起集会と続きました。
この決起集会には小沢一郎代表代行がこの集会のためだけに来広され、
1200人満員の会場は大いに盛り上がりました。
「これで追い越せたのでは」と感じましたが、
実際にはまだ目の前に背中を見ていたわけです。
28日には金座街で国民新党の亀井静香代表代行との街頭演説がありました。
郵政関係者を中心に500名近い方々がお集まりだったと思います。

最終日は午前中に県連車で南区中心に街宣活動を行った後、
午後からは候補者とともに街宣カーに乗り込みました。
最後のお願いを繰り返し、5時過ぎからは貸切の被爆電車に乗り込み、
本通り叶屋前に移動、最後の街頭演説の後練り歩き、
そして事務所前で二百人近くの仲間たちとともにマイク納めと
運動を締めくくりました。




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