平成11年9月7日
宇品築港竣工50周年式典を主催したのが、当時(昭和15年)の広島県知事相川勝六氏でした。現在の広島港の原型を考え、工事を着手した知事です。
軍港から工業・商業港の発展を考え、広島工業港計画の推進していきます。
私が驚いたのは、昭和15年にこの相川知事はラジオ放送を通じて県民に理解と協力を求めていることです。これは、住民や漁民対策が主目的だったようですが、前代未聞のアイデアだったようです。
この計画の内容は、
@広島商業港(宇品西海岸)から草津に至る干潟を埋立て、工業用地を造成する、
A前面の泊地を浚渫し、1万トン級までの船舶の航行、係留を可能とする、
B埋立地には、公共物揚場・道路・鉄道を整備する、といったものでした。
戦争によって一時中断することになりますが、三菱重工・マツダの誘致に成功し、この計画は昭和57年の西部開発事業(商工センター)の完成で達成されることになります。
私はこの相川知事のラジオ放送を読んで感動しました。まず、なぜ工業港が必要なのか、から始まり、広島に有利な条件を説きます。次に工場ができる効果について、「広島商業港(宇品)に接続して西の草津まで130万坪の海面を埋立て(うち工業用地は、110万坪)これに1万トン級の船を横付けし、さらに鉄道をひくと、東京の専門家の話では、広島では、大体工場1坪につき、年間の生産額が700円位であろうから、110万坪で1年で約8億円の生産が上がる。8億円は、現在の県内の農村・山村・漁村を含むあらゆる生産をあわせて4億円程度であるから、あの地域だけで現在の県の生産の2倍をあげることができる」としています。
そして次に明確に、「このことが、県民の豊かさにつながる」と断言しています。
最後に、県民に「精神的な協力をお願いしたい」としめくくっています。
今回の出島地区の埋立てが45万坪で、五日市地区が47万坪です。合計で100万坪近い埋立てになるわけで、港湾施設の事業収入と合せて、「このことが、県民の豊かさにつながる」といった明快なヴィジョンが欲しいところです。
港湾計画につきましては、施設利用者の開拓、企業誘致等、投資をムダにさせないため一層の努力が必要です。効果の分析をしながら執行体制を十分にチェックして参ります。
(今週の活動)
8月13日(月) 財政課質問打ち合わせ
8月14日(火) 未来潮流フォーラム打ち合わせ
9月15日(水) 義父の死去により柳井へ
9月16日(木) 義父お通夜(柳井)
9月17日(金) 義父葬儀(柳井)
9月18日(土) 9月一般質問原稿作成
9月19日(日) 9月一般質問原稿作成
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