未来潮流バックナンバー

 16.広島港について(4)

平成11年9月7日 

 宇品の1万トンバースの西側に銀色に輝く大きなタワーがあります。海島博の際造ったものを移設したものです。
これは平成
3年に、航路誘致のため旅客船への各種サービス提供のため造られたインフォメーションセンターに合わせてシンボル的に造られました。当時広島市議会議員だった私も、開所セレモニーに参加いたしましたが、「宇品の港がやっと賑やかになるかな」と期待したわけです。行かれた方はわかると思いますが、センターは朽ちるばかりで、さびしそうにタワーがそびえているのが現状です。

今回の「広島港について」はこういった現場を目で見て、今後展開されるポートルネッサンス計画は大丈夫なのだろうか、十分な対策はうてているのだろうかという疑問から始まりました。
2010年にはコンテナ貨物量が2倍〜2.5倍になり(年率7.6%の伸び)、神戸港をつかっている貨物が新しくできる3万トンバースを使うので大丈夫ということでした。そこで神戸に行き、広島港の現状も詳細調査してみました。私は「非常に厳しい」と考えています。

 宇品港は明治17年に当時の千田貞曉県令により着手され、明治22年に工事費約30万円(60万坪の埋立て)で完成しています。当初蘭人ムルデル技師のはじいた工事費18万円、業者の請負額11万円を考えると難事業だったことがうかがえます。
その後、宇品港は陸軍の輸送部隊の拠点として発展するわけです。
私は、昭和
15年に行われた宇品築港竣工50周年記念式での井上幾太郎陸軍大将の「軍事方面より観たる宇品港の懐古」という講演に注目しています。「宇品の港は非常な千田知事のご尽力によって立派に出来ました。しかしながらその当時の広島の人に接して広島の方々のお声を聞いて見るというと、あれが出来てまことにありがたい、これから広島が大いに発展するだろうというような声を聞くことはまことに少なくて、どうもあの港は広島には過ぎたものだ、随分道楽息子で多数の金と人の力を費やしたというように現に私を宇品に案内してくれた人もそういうようなことを説明してくれました。私どもは実に立派な港でまことに良いものだと思いましたが、そういうような具合に説明されました。」ここでは、当時の県民は宇品港を過ぎたものと考えていたのです。(続く)

(今週の活動)

9月6日() 港湾計画研究

9月7日() 佐川急便訪問

9月8日() 未来潮流フォーラム打ち合わせ

9月9日() 老後をよくする会「コスモス」

9月10() 小沢一郎政治講演会

9月11() 隊友会中国ブロック懇親会

9月12() 宇品東学区町民大運動会


未来潮流目次へ

次のレポートへ